「23階の笑い」まとめ
「23階の笑い」の再演が決まったので、12月の公演のまとめを。
2016年12月1日〜14日@紀伊國屋サザンシアター。ふぉ〜ゆ〜主演舞台第4作。ニール・サイモン作、錦織一清演出「23階の笑い」。
2017年も3月になり、EndlessSHOCKも後半戦。今さら前の作品の振り返りをまとめてます。というか12月からずっと書いてたけど全然まとまらなくて結局今頃になる…(笑)
とにかく、以降「23階の笑い」について、ヲタクのわたしがめんどくさい分析をして私見を述べます。
ふぉ〜ゆ〜の配役について
🍀辰巳
オープニングは辰巳が1人で客席を相手に狂言回し。1ヶ月半くらいぶりに見た辰巳の顔は相変わらず小さかった。最初の感想、顔ちっさ!!だった(笑)辰巳の顔なんて何回も見てるはずなのに毎度新鮮に顔の小ささに驚かされる…。今回公演期間中にお会いしてお話した人たちみんな、辰巳の顔小さくなった件には同意してくれたからなんかしら小顔に見える効果が働いてたんだと思う。
1幕のルーカスは実力を認めてほしくて、正式採用してもらいたくて気を遣う新人という雰囲気がよく出ていた。それでいて面白いことを書きたいんだ!っていう気概も感じられて「いいぞ新人!」って感じ。作家1人1人が出勤するたびにコーヒーを入れにいって、電話もとって……まさに新入社員。辰巳のお芝居は本当に役の中の人格そのものに見えるからスゴいなぁというのは毎回思ってる。客席に話しかけるところも定期的にあって、非現実と現実…というかステージの上の1950年代アメリカと現代日本の新宿にある客席を行き来する難しい役なのに、役から抜けずに自然にやってのけてる。
簡潔にいうと、「やっぱり辰巳雄大、上手いな」これに尽きる。簡潔にもほどがあるけど。
🍀越岡
越岡くんの役は一言で表すなら女ったらし。なんかこっしーっていつもこんな感じだよね…女にヘラヘラしてる役というかスケコマシというか(言い方)
羅針盤の女優の浮気相手でタンスに隠れたけど旦那と鉢合わせたっていうどっかの元モーニングな娘の相手役を彷彿とさせる若手俳優ルベール、マドンナ〜♡ってくねくねする縁の和也しかり。わたしはREPAIRのナオキの頼りない感じもかわいくて好きだったんだけど。
でもフラットに女好きというのがすごく似合うんだよなぁ、こっしーは。なんというか、こっしーはこっしーのままでミルトを演じてた。演じてたというかあれはこっしーなんじゃないかと思うくらいこっしーのままだった。うーん、上手く表せない。こっしーなんだけどこっしーじゃなくて、でもそのままスッとそこに存在している感じというか。こっしーって纏う空気変幻自在なの?ほんとすごい…。
あと、今回はこっしーの手足の長さがめっちゃ映える衣装ばっかり着てた。デザインはともかく手足の長さを感じるいい衣装だった。すごく羨ましい。このことを周りの越岡担数人に言ったら「越岡くんの衣装さ…」って切り出したくらいでみんな「変な服ばっかり…」って返してきたから越岡担ほんと越岡くんに厳しめでおもしろい。越岡くんのポテンシャルを信じてるのだと思うけど。越岡くんはまだまだこんなもんじゃないでしょ!?という感じなのだと。
あと、ベレー帽の似合わなさがネタになるのとてもよい。ルーカスに被らせたときに私服かってくらい似合っちゃったのも込みで、ベレー帽のくだりは普通に面白かった。原作読んだときその面白さ伝わらなかったけど、視覚的に入ってくると面白いってことあるんだなぁ〜って感じさせられた、今回の舞台でとても好きな場面。
🍀福田
福ちゃんはロシア人のヴァル。ロシア訛りの英語がどういう感じなのか、英語が苦手なわたしには原作読んでもよくわからないし福ちゃんがどこの方言をイメージして訛っているのかもわからないけど、多分ざっくり東北のイメージかな?日本人が純粋に方言って聞いてイメージするのは東北の方言って、大学の授業で聞いた気がする。関西の方だとチャキチャキした陽気な感じになっちゃうからっていうのがその理由だったかな。陽気じゃない関西人だっているだろうに、なんか理解できちゃうから刷り込みってこわい。
ヴァルの衣装はとてもステキでした。ロシア人らしいコートと筒みたいな形のふわふわの帽子をかぶっていて、中のスーツはツイードだったかな?ジャケットなし、ズボンに白シャツにベスト。ズボンの腰にあるズボン釣りを掛けるところが赤ですごくおしゃれ。単なるわたしの好み。
ヴァルはマックスを信奉していて、マックスの理不尽な怒りも「気持ちはわかるよ、全く同感だマックス…」「おっしゃる通り。悪いのは……オラだ」って全部受け止めて吸収して、話しかけるときも「すまないマックス、話の腰を折りたいわけじゃないんだが…」って気を遣いまくって、とにかくマックスを尊敬していて、同時に畏怖もしているんだと思う。マツのこと大好きな福ちゃんが大好きなわたしにとっては本当にオイシイ設定でした♡福ちゃんのことは同担だと思ってる。
バカンスバカンス〜♪っておふざけしてマックスから「お前はずっとそうやってろ!!この露助!!」って怒鳴られるシーンでは顔をぐしゃぐしゃにしてくぅ〜〜〜〜っ!!って噛み締めてる顔が可愛すぎて、怒られるのが快感なの?罵られて喜んでるの?え、なにこれそういう性癖……?って混乱した(笑)まったく別件だけど「露助」ってロシア人の蔑称なんですね。この単語を知らなかったのでなにを言ってるのかわからず、最初松崎くんの滑舌悪いからだと本気で思った。初回公演からかなりはっきり「ロスケ」って発言してたのに…不勉強で大変失礼なことを考えてました、ごめんね松崎くん。
正直、原作を読んだときはヴァルはマックスを慕ってはいるけどもうちょっとビジネスライクにチーフ作家としての仕事を淡々とやってる感じだったから、ここまでマックスに心酔してる感じに表現されるとは思ってなくて意外だった。でも福ちゃんがやるヴァルならこれでいいんだろうなってとても腑に落ちたからこれが正解なんだ、きっと。
そしてこれが、福ちゃんの本当にすごいところだと思っている。すごいところで、こわいところでもある。どんな役でも、多少イメージしたのと違っても、「福田悠太がやるこの役はこれが正解なんだな」って思わせる力が強すぎる。「俺は俺だ、これが俺だ!」って自意識の強さと「俺にしかできないことを俺のやり方でとことんやる」っていう努力に基づいた自信もあるのだろう。それでも、それを理解していてもなお役に沿わないな…という違和感を感じてしまうことって多々あるのに彼の場合は多少場に沿わなくても、場の空気の方が福田悠太に寄ってくるというか。福田悠太の惹きつける力が強すぎて、それこそ彼は新興宗教の教祖とかやったらすごく稼げると思ってる。福田教があったら、高いツボとか当たり前のように勧められて当たり前のように買っちゃいそうだからほんと福ちゃんはジャニーズにいてくれてよかった。
🍀松崎
そして何より、松崎くんのマックス。
出てきた瞬間の大物コメディアン感で「あぁ、勝ったな」って確信した。何に勝ったのか、舞台における勝敗なんてあるのかないのかもわからないものだけど、なんかそういう直感があった。初日、マックスがステージに出てきた瞬間に自然と拍手が起こった、その場にいてすごく誇らしかった。あの瞬間、あの劇場は完璧にマックスの世界だった。マックスの存在感が支配する世界だった。それを感じさせてくれることってファンをやってて1番嬉しいことだなって。改めて松崎くんに担降りした。もしわたしが他担としてこの舞台を観ても、松崎祐介に担降りしただろうなっていう瞬間だった。
全員が初見、全員がフラットな視線で観ていたのは初日の最初の公演だけで(ゲネは別だけど)。2公演目以降はどうしても1回目に見逃したところを〜って意識が働くけど、少なくともあの公演では劇場全体が松崎祐介の演じるマックスに視線を奪われた。それがわたしの誇りだし、その体験だけでこの先生きていけると思った…本当に。でも、ほんとはこれから先ももっともっとこの体験させてほしい。
大きめのブルーがかったサングラス、成金っぽいいやらしい毛皮のコート。50年代アメリカって感じのツイードの高そうなスーツ。手には葉巻。アメリカのテレビ番組からそのまま抜け出してきたような格好で、それがすごく似合っていた。似合っていたというか、松崎くんとしてではなくコメディアンとしての完成度がすごかった。
松崎くんとなだぎ武は出てる時間短いんだけど、存在感がすごすぎて時間の短さを感じさせない。松崎くん、長い台詞もしっかり意味が伝わるようにはっきり言えていてそれだけで甘やかしたくなっちゃう
— えり (@uzk_still) 2016年12月3日
なんというか、本当に存在感で圧倒されるような感覚。それしか言えない語彙力のなさを恨むけど、滑舌も前よりはよくなっていたし、多分歯の矯正が取れればかなり聞き取りやすいと思う。縁の演技が素晴らしかったから、そこで何か見つけたのかな?大森さんの演技論、芝居へのポリシーとして1番こだわっているところなのだろうけど、ステージの幕が上がってから下りるまで1秒たりとも役を離れないということを身につけた松崎くんは今までよりもすごくすごく自信を持ってステージに立ってた。
普段、先輩のバックで踊ったりゴゴスマのカメラの前に立ったり、松崎くんが松崎祐介としてスポットライトを浴びるとき、彼から尊大な印象を受けることはない。少なくともわたしは一度も感じたことがない。でも、ステージ上のマックスはワガママで強引で尊大で、かつ偉大で愛嬌があるコメディアンだった。
松崎くんは120%の努力で最高のマックスを魅せてくれた。マックス・プリンスのコメディアンとして芯が一本強く通ったまっすぐさ、カリスマ性、すごく綺麗に表現されてた。本当に贔屓目なしに素晴らしいと思った。わたしは松崎くんを溺愛してるからどうしても贔屓目になるけど、他担の方からも今回いっぱい松崎くんのお芝居を褒めてもらえたから。
この『23階の笑い』という作品はマックスがハブになっているから、そこを任せてもらえたことがまずとても嬉しかったし、この人を好きでよかったと思えて誇らしかった。「ほぼマツが主役じゃん!」会う人会う人にそう言ってもらえるような役に出会えたのは本当に幸せ。
本当に今回、松崎くんに自担として誇らしさを感じてばかりで、松崎くんが好きで好きで、この人を好きになってよかったって、あまりに自分本位だけどそればっかり感じる公演期間だった。
気になった点
何度でもいうけど、本当に松崎くん始め4人は精一杯50年代アメリカのショービズ界に生きようとしていた。いや、生きていた。それを汲んだ上で、あえて気になった点を挙げるなら、という話をしたい。
原作を読んだとき、かなり強烈に頭に入ってきたマックスの二面性の部分。ここの描写が少し弱かったのは気になる。確実にこの話のポイントの1つは、マックスの強さとその裏にある弱さだと感じていたから。
2幕、番組が短縮されてどんどん緊縮傾向が強まっていく閉塞感と、冷戦中の政治的緊張感が高まっていくやり切れなさでマックスの暴力性と繊細さと弱さがクローズアップされていくあたりの表現については、もう少し丁寧でもいいかなぁ。最後、クリスマスパーティのシーンでもお酒の力を使って本心を隠し、がなるようにまくしたてるお芝居をつけられていたけど。それはもちろんしっかり読めば切なさを煽るしそういう手法なのだと思うけど、そしてそれ以前の壁を殴るところから見られる暴力性とも繋がりがあるのだろうけど、もう少し表面的にわかりやすくしっとりやってもよかったんじゃないかなぁというのは思った。
もちろん原作のどこをキャプチャしてどう表現するか、その裁量は演出家のセンスだから松崎くん本人に文句があるわけではない。さらに言えば錦織さんの演出に文句を言うつもりも毛頭ない、です。我らがリーダー福ちゃんにとってニシキさんは神様だし、わたしにようなオタクにとってもニシキさんは今後とも何卒末長くお世話になりたい先輩だし。
一介の舞台ヲタク(というか正確には戯曲ヲタク)として、酒と精神安定剤でバランスをとるマックスの弱さを、勝手に『見知らぬ乗客』で二宮くんが演じたブルーノに重ねていたわたしの先入観も多分に影響している。ブルーノも酒に依存して声を荒らげていたけど、同時に切ないやり切れなさをしっかりと表現していたから、無意識に同じことを松崎くんに求めてしまった。当時既にお芝居が自分の売りだと自負していた二宮くんの、繊細かついい意味で緻密に計算された演技と、お芝居にはこれからどんどん挑戦していく段階の荒削りで攻めている松崎くんの演技、新旧自担を安易に比較したのは軽率だった。年齢的には当時の二宮くんは今の松崎くんよりかなり年下だけど、2人は立場も環境も違うんだから、どっちがいいんでも悪いんでもないな、と。まして松崎くんはまだまだこれからの人なんだから。でも、わたしが観た中でも何公演かは切なさを表面に出して切なさの中で無理に明るく振舞おうとする儚さをしっかり感じられた公演もあったから、そこを安定させてほしいなぁって少し思った。感情のところだから毎日同じっていうのは無理なのは承知だけども。
まぁでも、松崎くんにマックスをやらせるならマックスの"陽"の部分を強く描きたくなるのはわかる気がする。やっぱり松崎くんのキャラはふぉ〜ゆ〜の宝だし、それは誰よりも松崎担が一番に感じていることでもあるから。松崎くん本人は底抜けに明るいわけでも面白いことしようとしてるわけでもないんだけど、パーソナルイメージとしての「明るいバカ」というのがあって。それを端的に表現しているのがアイラがマックスに投げかけた「なんでお前が面白いかわかるか?それはお前だけがお前が何を言ってるのか理解してないからだ!」って言葉。聞いたとき、背骨に電流が走った。わたしがずっと抱えてきた松崎くんの才能をこんなにピッタリ、簡潔に表現する言葉をニール・サイモンが生み出していたのかと思うと震えるような感動だった。まさにハマリ役というのはこのことか!と。そしてそんな才能を持ってたら積極的に使いたくなるよねっていうのはわかる。実際前半、1幕のマックスは素晴らしかった。他の誰にも真似できない松崎祐介だからこそできたマックスだった。
欲を言えば、松崎くんならあそこまできっちり固めなくてもっと素で演じてもマックスっぽさは出せたかなと思うけどこれはわたしの好みの話だからあれが正解と言われたら素直に受け入れられる範囲内。
共演者が芸人さんだけあってアドリブの入れ方が激しく、正直それに戸惑うところも多かった。ジャニーズの舞台だけじゃなく他の劇団の舞台も年に何本か観に行くけど、アドリブはセリフの一部を少し改訂して笑いを狙う程度のものしか見たことがなかったから、吉本の芸人さんたちのガツガツした笑いに貪欲なアドリブ合戦はとても新鮮だった。
ストーリーから逸脱してしまう恐怖とそれをも楽しんで笑いに変えようとするお笑い芸人さんのスキル。そこのぶつかり合いがいい緊張感を与えていたのはよかったと思う。
芸人さんの見せ場も必要だというのは理解できるし、コメディの放送作家たちだからネタを競い合わせるというのもない話ではないだろう。マックス・プリンス・ショウは時事ネタ・政治ネタを織り込んだ番組みたいだから某金曜日の週刊誌のネタもアリだと思う。どうしても必要不可欠なシーンだったかと言われるとそこに疑問は残るけど、あそこのアドリブがあることで芸人さんたち3人がイキイキしていたようだからきっとあのシーンはそれを意図しているのだろう。
そこでいうなら、どんなに週刊誌ネタでイジられても「福田悠太」が出てこなかった福ちゃんはすごかった。こっしーはやたら笑いのツボが浅くて笑ってはイジられてたけどそれでも素のこっしーではなかったんじゃないかと感じた。
ふぉ〜ゆ〜以外の出演者の皆さん
♠︎ケニー(シソンヌ・長谷川忍さん)
登場人物の関係性でいうと、原作を読んだときはヴァルがチーフ作家としてマックスとの信頼関係もしっかりしていてチーフ感強かったのが、舞台ではケニーがマックスの精神的支えになってたのはおもしろかった。
ヴァルはマックスを崇拝するあまり緊張してしまうところが強く描かれてたから、精神的な支えはケニーになったのかな。マックスを支えるケニーの力強さにうっかり新たな扉を開きそうになるほど、ケニー役のシソンヌ長谷川さんはすばらしかった。カテコやお写真でよくよく顔を見てみると失礼ながらキュートとは言い難いお顔立ちなのだけど(ほんとに失礼)、ケニーを演じている間はかなりキュートだった。原作を読んで、天才少年で洗練されているケニーはもっと細身でシュッとした神経質そうなイメージだったけれど、長谷川さんのケニーを見てからはもうそれがケニーだ、ということに一切の異論がなくなった。それってすごいことだなぁと思うのです。
♠︎ブライアン(シソンヌ・じろう)
ブライアン役のシソンヌじろうさんはイメージした通りでした。公式だと身長179cmとなっていて、ふぉ〜ゆ〜の誰よりも高身長なはずなのにそれを感じさせなかった。マックスが偉そうにしてるからなのか一番背が高く見えて。ブライアンは逆に「ハリウッドに行きたい」って向上心というか出世欲みたいなものはあるのに猫背のせいかあまり自信がないような雰囲気を見に纏い小柄に見えました。カーテンコールで出てきたとき、ブライアンおっきいな!?って驚かされました。
♠︎アイラ(なだぎ武)
なだぎさんはアイラのウザさを的確に表現していてさすがだった。存在感に至ってはもうはっきり言って主役だった。座長だった。
なだぎ武としてのキャラ(ディラン・マッケイとか)そのままに出ている部分も多くて、ネタとしてR-1やらちばてつや先生やら50年代アメリカではありえない単語をほいほい出してくる。
あのアイラの暴走を、アイラはお騒がせキャラだからあれでいいんだと捉えてるんだろうか…。もしなだぎさんが年上でキャリアがあって暴走を止められないならそれはやめたほうがいいと思う。
アドリブ合戦の部分はいいんだけど、登場してからのアイラの1人しゃべりで場がしらけるところはあそこまで自由にやるべきなのか、もう少しセリフとか固めてもいいんじゃないかっていうのは思った。
♦️キャロル(蒼乃夕妃さん)
宝塚出身の女優さん。気の強そうなキャリアウーマンがよく似合う。キャロルの「女性作家なんて言われたくない。いい作家だって言われたい。」ってセリフは真骨頂だと思った。
髪をアップにしてるのと下ろしてるので印象が全然違って。妊娠中は髪を下ろしてるんだけど母性を感じさせる柔らかい雰囲気になってそれもまた素敵だった。
キャロルは女性としてではなく同じ作家として、プロとして周りの男たちと対等に渡り合っていきたいと望んでいて、でもマックスは女性の目線をキャロルに望んでいる。マックスは女性差別的ではなく、特別扱いをするわけでもない。「女性は男性のように」というのではなくて「女性は女性のままで」仕事をしてほしいと望んでいるんだと思う。男女では生得的な差もあるし、それを考慮してこそ平等だとも言えるよなぁと思ったりする。
♦️ヘレン(立花瑠菜)
立花さん、20歳になったばっかりなんですね!若い。お肌ツヤツヤ。綺麗目のファッションでいかにも美人秘書という感じ。
マックスはこんな若い子に向かって自分の股間わし掴みにしながら「葉巻買ってこい!」とか言っていていやらしさがすごい。それに対して「細身のですね、わかりました」って返すヘレンもなかなか。細身……細身なのか。そうなのか。(やめなさい)
他にもマックスは「陰毛って言ってごらん?」とかけしかけてて本当にヘレンにはセクハラ発言ばっかりでごめん!!という気持ちになる。ちなみにミルトも「同情のあまり興奮するなんてことは…?」なんて言ってるしおじさんたちのセクハラがひどい。
かわいらしくて、でもコメディ作家をするには真面目すぎて、ミルトの「そうだ君、絵本作家をやればいいんじゃない?」はなかなか的を射ていると思った。
上手くまとまらなかったけど、4月になったらまたこれを見返して23階の笑いに備えようと思う。まだしばらくはSHOCKが続くからそっちにかかりっきり。
そういえばSHOCK期間に松崎くんの髪、だいぶ短くなったけどまたマックスはあのクルクルにするのかな…そこまで伸びないと思うんだけど松崎くんちゃんと考えてる?大丈夫?と少し気になった(笑)